新潟県南魚沼市浦佐の普光寺毘沙門堂(坂上田村麻呂 建立)では、約1200年の歴史を誇る「裸押し合い祭り」が毎年3月3日に行われている。我先に毘沙門堂を拝もうと、多くの民衆が押合いを始めたのがこの祭りのきっかけである。毎年数万人の見物客が訪れるというこの裸押し合い祭りは、化け猫退治に由来しているとも言われている。
普光寺に一匹の猫が住みつき、この猫が年をとって化け猫になった。この化け猫が、毘沙門堂の堂守(どうもり)を次々と食い殺すようになっていた…
浦佐の按摩杢市(あんまさん)がお坊さんの肩をもみ始めたが、人間の骨格でないのに驚き、逃げだそうとすると「おれは裏山の化け猫だ。このこと人に話すと食い殺す」とあんまさんを脅した。あんまさんは村人に災難がかかってはと家人に知らせ、そのまま息絶えた。
そんなある時、堂守を志願する修行僧がやってきた。化け猫のことを村人に聞いていた修行僧は、片目のあんまに化けてでた化け猫を、応戦に来た村人たちと共に退治したという。人々は、この化け猫の上にむしろをかぶせ、「サンヨ、サンヨ」と言いながら、力いっぱい踏みつけたのだという。
この日が旧暦の1月3日であるといわれており、新暦になおすと3月3日にあたる。そのため浦佐では毎年3月3日に、堂の中にむしろを敷いて、「サンヨ、サンヨ」という掛け声を唱えながら裸押し合い祭りをするようになり、猫面が魔除けとして売られるようになりました。
毘沙門堂には「猫瓦」があしらわれていたり、「裸押し合い祭り」の時に堂に敷くむしろのことを、人々は「ネコシキ」と呼んでいたりと化け猫と毘沙門堂の関係を感じさせるものがあちこちに残されているようです。
化け猫退治の話を耳にした江戸時代の左甚五郎が猫面を彫ってお寺に奉納し、その猫面が火事の時に鳴いて知らせたとも言われています。
(引用、参考)https://widetown.cocotte.jp/japan_den/japan_den178.htm