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「令和の天神様」

 

平安時代に活躍した菅原道真公。醍醐天皇の時代には右大臣だったが、左大臣たちに騙され罪人となり左遷。道真公は太宰府で謹慎し、京に戻ることなく生涯を遂げる。死後は天変地異を司る怨霊『天神』になり復讐。都で大雨と雷を落とし人々に恐怖を与えた。道真の失脚に関わった人物の相次ぐ変死に、左遷を実行した醍醐天皇は怒りを鎮めようと僧侶に祈祷を行わせる。しかし、その後も親王が幼くして亡くなるなど、道真の怒りは一向に収まらなかった。その後、北野に道真公を祀る社殿が造営、「北野天満宮天神」という名前が送られ人々から天神様と呼ばれるようになる。そして道真の怨霊はようやく収まった。時を経て、人々の記憶から道真公の怨霊のイメージは薄れていった。高名な学者だったこともあり「学問の神」としての信仰へと変化していった。

 

時代は令和へ…

スマホに夢中の学生がいた。様々な情報が脳内を駆け巡り、将来への目標が定まらず、何の為に勉強をするのかも分からずにダラダラ過ごしていた。ある日、いつものようにスマホを見ていると、突然大雨が降り始めスマホに雷が落ちた。するとアプリがロックされ画面上に天神様が現れて学生に告げた。

 

「日本の未来は少子高齢化、経済不安、災害、などの不安要素ばかりだ。学問によって思考力を鍛えれば、問題を分析し解決策を見つける力を身につけられる。そして未来を良き方向へ進めることができる。心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん(心から誠実に努力をすれば、祈らなくても、神様は守ってくださるだろう)」

 

彼はその意味をすぐに理解できなかったが、天神様の言葉に不安を覚え日本の未来を変えるために政治家になろうと決意。彼は誠実に努力し続けて目標の大学へ進学、天神様の言葉を信じ学び続けてついに念願の政治家になることが出来たのです。

そして立ちはだかる国難を次々に解決していき、日本にとって大きく貢献したのでした。

 

さらに遠い未来…人々は学問を通して日本の未来を良い方向へ導いた彼の功績を讃え、令和の天神様と呼びました。そう、彼は未来の天神様だったのです。

                     

「真の八福神」

 

<七福神とは>

仏教の七難即滅、七福即生という考えに基づいており「七つの難が滅び、七つの福が生じる」という意味で、この七福に対応した神々が選ばれた。ところが、この七柱の神々は、日本だけでなく、インド、中国など、様々な国から集められました。当初はメンバーが固定されておらず、現代で馴染みのある「恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天」の顔ぶれに定まったのは江戸時代になってからと言われている。

しかし、そこに一神を加えて八福神という説もあります。(お多福、達磨、等)

 

 

時は令和。疫病が蔓延し人々の暮らしは変化していた。

人と人との接触は制限、飛沫による感染拡大を恐れ会話も制限されていた。イベントも中止、旅行も禁止、大切な家族にも中々会えず人々の心は日に日に疲弊していく。世界中の人々はデジタル世界への移行を余儀なくされた。

 

そんな時代の中、行先の見えない未来に絶望している少年がいた。

学校も休校、友達にも会えない、好きな子にも会えない。テレビをつけてもネガティブな話題ばかり。このままではいけないと、彼はSNSに現状を吹き飛ばすような前向きなオリジナル曲を公開。しかし…そんな甲斐も虚しく誰も目を向けてくれなかった。今まで以上に孤独な日々を過ごし生死を考えるほど悩み病んでいた。

 

彼の感情を察知し、電脳の世界から原型のない神が降臨した。

その神は彼のスマホに「ムジカ」というSNSアプリをインストール。突然現れたアプリに不審を抱きながらも誘導されるがままに自身の曲をアップロードした。

数日後、アプリを立ち上げると…

なんと世界中から「生きる希望が見つかった」等の賞賛コメントが集まっていたのです。

彼の音楽はアプリを通して世界中の人々との縁を繋ぎ、悩み苦しむ人の心を救いました。同時に彼自身も絶望の淵から生きていく意味を見つけることができたのです。

実は…曲を聴いた人々も神に同様のアプリをインストールされ、彼の音楽に辿り着いていた。このアプリは人の本質を見抜き、縁を繋いでくれるアプリだったのです。

 

このアプリは一大ムーブメントを巻き起こした。

人々はデジタル社会の中で縁を繋いで福を運んでくれる実体のない神様を「電脳神」と名付け崇拝しました。

その神の功績を後世に残すために、人々は実体のない姿をイメージし造形しました。

そして、既存の七福神に加えて新たなる神として招き入れ、「真の八福神」としたのです。

 

「勇気の三猿」

 

<見ざる・言わざる・聞かざるの三猿とは>

日本で有名な三猿の「見ざる、言わざる、聞かざる」という言葉は、「物心のつく幼少期には、悪いことを見たり、言ったり、聞いたりしないで、良いものだけを受け入れ、素直な心のまま成長せよ」という教えが暗示されています。

時は21世紀、小学生の子供から社会人の大人までイジメが蔓延し社会問題となっていた。

ある少年が同級生に暴力を振るわれイジメにあっていた。少年の心と体は限界を迎えていた。

そこにたまたまクラスメイトが通りがかり、少年は必死に助けを求めたが聞こえていないふりをしその場を立ち去った。

 

そのクラスメイトはモヤモヤした感情に蓋をしたまま帰路についた。

玄関で靴を脱いでいると、玄関に置いてある猿の置物が突如ガタガタと震え始めた。

それは3年前に亡くなった祖父から貰った三猿だった。

三猿は彼の感情を察知し形を変えていった。目を隠し、口を覆い、耳を塞いでいた3匹の猿は、大きく目を開け、大きな口を開け、耳を澄ました姿に化けた。

彼は驚きのあまり腰を抜かしてしまう。

しかし、変化していく三猿を目の当たりにし感情が大きく揺さぶられる。自身の先ほどの行動を振り返り、悪事から目を背けてはいけない、助けに行かなければと、三猿をポケットに入れ少年の元へと走っていった。

 

彼は勇気を振り絞り、暴力を振るう輩を大きな声で怒鳴りつけ追い払った。

泣き崩れている少年に「さっきはごめんよ、気づいていたけど無視してしまって」とお詫びした。少年は涙ながら「ありがとう、助けてくれて。僕も君みたいに立ち向かえるよう強くなる」とお礼を述べた。

 

玄関に戻り、勇気を与えてくれた三猿をポケットから取り出すと、三猿は今まで通りの「見ざる、言わざる、聞かざる」の仕草に戻っていた。

 

彼は「人の心を踏みにじるような、悪いことからは目を背けてはならない」という、祖父からのメッセージだったのだと感じた。

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