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蘇民将来 正面
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蘇民将来とは、各地に伝わる説話や伝承に登場する人物名です。

その説話や伝承が基礎となって、蘇民将来は災厄を払い、疫病を防ぐ神として今も広く信仰されています。

日本三大祭りの京都・祇園祭での7月31日の祭りの締めくくりに蘇民将来を祀る【疫神社】にて『夏越祭』があります。八坂神社の『夏越祭』は、蘇民将来伝説(備後国風土記)の逸文が元になっています。
 

一般に流布している蘇民将来伝説のあらすじは
昔、北の海からやって来た武塔神(ムトウノカミ)が、旅の途中で宿を探していた時、裕福な弟、巨旦将来(コタンショウライ)は断り、貧しい兄の蘇民将来は心からもてなした。武塔神が蘇民将来に、子がいるかどうか尋ね、娘がいると答えると、腰に茅の輪を付けさせるようにいった。その夜、武塔神はそれを目印として一人を除いてすべて殺し滅ぼした。そして武塔神はみずから速須佐能雄神(ハヤスサノオノカミ)と名乗り、茅の輪を付けていれば、疫病を避けることができるといった。

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八坂神社では現在のご祭神はスサノオとなっていますが、蘇民将来伝説と関連する神様もそろって祀られているようです。今でも祇園さんと呼ばれていますが、八坂神社は明治時代までは『祇園社』であり、祀られている神様は「牛頭天王」でした。八坂神社のご由緒によると、斉明天皇2年(656)に高麗より渡来した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に祀られた素戔嗚尊を山城国(京都)にも祀ったことが起源の一つとなっております。

「祇園祭のルーツは古代イスラエルのユダヤから来ているのではないか?」
祇園祭が古代イスラエル(ユダヤ民族)との関係があるという説があります。

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・「祇園祭り」と「ジオン祭り」と名が似ている
旧約聖書では、ノアの方舟がアララト山に漂着したのを確認した日が7月17日と言われる。その前後数週間をジオン祭りとして古代イスラエルのシオン近郊で宗教行事が行われていた。

 

・山鉾(やまぼこ)にペルシャ絨毯が使用
山鉾の形状自体がユダヤの仮庵祭(かりいお)にも似ている。山鉾が登場する7月17日は「ジオン祭り」と同じ日。
山鉾巡行を7日間ストップすることが、ユダヤの過越祭りで『7日間の種なしパン祭』の期間と重なる。(発酵されていないパンを食べることはエジプト脱出の夜なので発酵させる時間がないこと表す)

この7月17日というのは、ノアの箱舟が地上に降りた日でもあり、祇園祭でも船を模様した『船鉾』があります。

・ユダヤの過越祭り(パスオーバーPassover)

ユダヤ教の最も重要な祭りの一つで、ユダヤ歴の7月15日から7日間行います。

​​モーセがエジプトのファラオによるユダヤ人の奴隷制度からの解放をもたらした出来事を祝います。

過越祭りの起源となった物語は『聖書:出エジプト記』に書かれております。


「十の災い:モーセはファラオに対し、ユダヤ人の解放を求めますが、最初は拒否されます。その後、エジプトには十の災いが起こります。これには、血の河川、カエルの大発生、虫の大群、家畜の疫病、エジプト人の皮膚病、ひょう、蝗虫、やまびこ、闇の三日間、長子の死などが含まれます。ファラオは最終的にユダヤ人を解放することを認めます。その前夜、ユダヤ人は家族と共に特別な儀式であるセーダーを行います。過越の夜には、神がエジプト全土で長子を打ち、ユダヤ人の家族を守るために、彼らは羊の血をドアの上部と両側に塗るように命じられました。これにより、神の天罰を逃れることができました。」


戸口に赤い血を塗って目印をつけることにより、疫病神の災いからユダヤ民族だけが逃れられる。
この部分がまさに蘇民将来伝説の茅の輪とリンクしてきます。「蘇民」という言葉も「民が蘇る」という意味でもあるので、イスラエルの民がエジプトで奴隷となって苦しんでいたところを、民の誇りを蘇るという意味にも読み取れます

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『聖書:出エジプト記』によると・・
過越の夜の後、彼らはエジプトからの脱出の旅に出ます。
彼らは約40年間、荒野をさまよい、ユダヤ人の国、約束の地(カナン)への旅を続けます。
このユダヤ人の国・約束の地(カナン)とは…ひたすら東へ旅を続けたとしたら、たどり着く先は日本かも?


(引用、参考)https://ailando-blog.com/gion-passover-susanoo/

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