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戦国最強の武将とも称される槍の名手、可児才蔵!
美濃国可児郡(現在の岐阜県)出身。関ヶ原の合戦に出て、敵の首を十七も召しとり、それを笹に通して背負って戦場を駆け回ったといわれる荒武者であった。戦いにおいては敵の首を討つことが多く、指物の笹の葉をとって首の切り口にくわえさせていたことから、合戦の直後には才蔵の取った首とすぐにわかったという。
そして、“笹の才蔵”と異名をとるようになった。 相手が誰であろうと媚びへつらうことなく、心のままに生きた。
徳川家康はその奮戦ぶりを見て、荒武者に「笹野才蔵」という名をあたえたという。
ある夜のこと、門口からこっそり忍び込もうとするあやしい人影を枕もとの刀で一刀のもとに切り捨てた。切られたのは世にも恐ろしい疱瘡の魔神であった。疱瘡を武をもって退けたとの逸話が残っているのです。
この一件が街に伝わると、その名声はますます高まり、町中の人たちは疱瘡神が家に入って来ないように、才蔵の絵を紅で刷り込んで門口に張り出したり、才蔵の土人形を子供たちに与えてほうそう除けのまじないとした。
猿とともに描かれている理由は、才蔵が山王様を信仰しており、その使者である猿を可愛がって連れて歩いていたからである。
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