top of page
西行法師2 正面.jpg
西行法師2 背面.jpg
西行法師1 正面.jpg
西行法師1 背面.jpg

京都府の伏見人形の初期から作られた型のひとつです。
歌人である西行法師は諸国を巡って旅しており、その足腰の丈夫さにあやかって「腰痛のまじない」に使われました。

 

西行法師にはこんな逸話もあるようです。

鎌倉期の仏教説話集に『撰集抄(せんじゅうしょう)』がある。
芭蕉も愛読した『撰集抄』は、古くは漂泊の歌人・西行の作と信じられていた。

説話のひとつ「西行於高野奥造人事」は、死者の骨から人造人間を造ったというゾクッとするお話。


『撰集抄』五巻十五話「西行於高野奥造人事」
西行は高野山で修行中の身である。
ともに修行していた同朋に去られた西行は、語り合う友だちがほしくなり、かつて習った人を造る法をこころみる。西行は野に出て、死人の骨をとり集め、頭から手足へと骨を連ねた。そうしてとりあえずできあがったものは、色が悪く、人の姿に似てはいるが心がなく、声はあるが、まるで吹き損じた笛のような音をしていた。

失敗作とはいえ、廃棄すれば殺人罪になるかもしれない。心がないから草木と同じようにも思えるけれど、人の姿をしているからやっかいだ。考えあぐねた末、高野の奥の、人の来ない場所に放置することにした。


京へ出た西行は、自分に「人造り」を教えてくれた人物を訪ねる。
話を聞いてみると、どうやら自分の造りかたには誤りがあったらしい。

西行は正しい「反魂の秘術」、すなわち魂入れの施術を教えられたが、再び人を造ることはなかった。神秘を侵しての生命の誕生が禁忌に触れるのを察知して、人を造るのをやめたのかもしれない。

西行の訪ねた人物が語るには「自分も何度も人を造ったが、それが誰かを明かすと造った人も、造られたものも溶け失せる」のだとか。

(引用、参考)https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/220270/
 

願はくは花のしたにて春死なむ その如月の望月のころ

(願いが叶うなら、春、満開の桜の木の下で、お釈迦様が入滅した2月15日の満月のころに死にたいなあ)

60歳のころ、西行が詠んだ歌です。実際に西行が亡くなったのは、それから10数年が過ぎた1190(建久元)年2月16日。死ぬ日付までほぼ言い当てた見事な去りぎわは、西行という歌人の存在を伝説にしました。

(引用)https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/187788/

© 2024 by 松永はきもの資料館、有限会社ムジカ. Wix.comを使って作成されました

bottom of page