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熊本県の日奈久温泉は、応永十六年(一四〇九)武将浜田右近の子 六郎左ェ門が、父右近の刀傷をなおそうと安芸(広島)の厳島明神に願をかけ発見されました。浜田六郎左衛門が父親の刀傷を癒そうと神に祈ったところ、夢で※1市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)よりお告げあり、教わったところを調べてみると温泉が湧き出ていたと伝えられています。その場所は今の本湯で、当時は海の中でした。(※1市杵島姫命は日本神話に登場する美しい女神で、宗像三女神の一柱として知られています)
天照大御神と須佐之男命の誓約により生まれ、主に水や芸術、弁財天としての性格を持つ神様です。 広島県の厳島神社の主祭神としても祀られ、多くの参拝者に崇められています。
また、江戸初期に細川家の藩営温泉に指定され、八代城主や参勤途上の島津公もよく日奈久温泉を利用しました。
~親孝行により神に導かれた、里娘「おきん」の純愛物語~
六郎の親を思うひたむきな姿に胸を打たれ、乙女心の純情さを父子につくしたのが、里娘「おきん」でした。
おきんの純情は、いつしか六郎への愛情となりました。おきんの美しさに、他の若者が袖を引き、求愛することもありましたが、おきんは一生変らぬ愛を六郎にささげたのです。
この里娘「おきん」の限りなき愛を、形として後世に伝えようとしているのが、「おきんじょ人形」です。
六郎への愛に生き、他の若者の求愛に、袖で顔をかくして逃げたことから、「袖かくし人形」ともいわれています。
またの一説には、江戸時代の文化文政の頃、温泉上の湯女(ゆな)の中に、「おきん」という美しく心やさしい女がいて、お客を大切にすることで評判になりましたが、若くして亡くなったので、心ある人達が、その姿を人形にしたとも伝えられています。
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