栃木県の郷土玩具で、しゃもじを利用して作った平たいなまずです。
もともと子どもの無病息災を祈るものでしたが、近年では地震といった災難除けのお守りとしても見られているそうです。その由来は、かつて日照りがあった際に、干上がった1匹の鯰をある百姓が助けて川に放してあげました。その後、大雨によって氾濫した川に百姓の子どもが流されてしまった時、数十匹の鯰が子供を岸まで押しやり、助けてくれたという民話からきているそうです。
・地震とナマズの神話
神武天皇元年(紀元前660年)の創建とされる鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の境内には、大地震を起こす地下のナマズを押さえつけていると伝わる「 要石かなめいし 」が鎮座している。1855年の安政の大地震の際には、巨大なナマズを 猛々たけだけ しい鹿島の神様がこらしめる「 鯰絵なまずえ 」が流行した。「地震の前にナマズが暴れる」という言い伝えは今も残る。(引用)https://www.yomiuri.co.jp/science/20240503-OYT8T50001/
『古伝によればその昔、鹿島神宮の武甕槌(タケミカヅチ)神、香取神宮の経津主(フツヌシ)神の二柱の大神は天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、常陸・下総付近に至った。しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
これは地中に大きな鯰魚(なまず)が住みつき、荒れさわいでいるせいだと言われていた。大神たちは地中に深く石棒をさし込み、鯰魚(なまず)の頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。(その石棒が要石と呼ばれる)
鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形で地上に一部だけをあらわし、深さ幾十尺とされている。貞享元年(1664)三月、徳川光圀公が当宮に参拝の折、これを掘らせたが根元を見ることが出来なかったと伝わる。』
鹿島神宮の要石の説明には、要石は大神の御座、磐座(いわくら)とも伝えられる霊石とも記されています。
鹿島神宮の要石は大鯰の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているとか、両者の石は地中で繋がっているとも言われます。ただ、記紀には要石の記載はなく、要石が一般に広く知られるようになったのは、安政の大地震(1855)で「鯰絵」が大量に出回った頃だと思われます。
(引用)http://shinshizo.com/2013/07/%E9%AF%B0%EF%BC%88%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%9A%EF%BC%89%E3%81%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%A8%E8%A6%81%E7%9F%B3%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%81%E3%81%84%E3%81%97%EF%BC%89/
近年では、地震の予知を巡っては大気の上層の変化を探る研究に注目が集まる。
2011年の東日本大震災や16年の熊本地震では、発生直前に震源付近上空の「電離層」に異常があったことがわかった。電離層とは、大気中の原子が太陽などのエネルギーを受け、電子とイオンにわかれる領域だ。京都大の研究チームは今年4月、地殻内部の破壊が電離層に影響を与えているなどとする研究論文を国際学術誌に発表したようです。
地震予知、鯰との関連性が解き明かされる日は、そう遠くはないのかもしれません…