こけしは江戸時代の後期、東北地方の温泉地で誕生したとされる。
発祥地は宮城県蔵王連峰にある遠刈田(とおがった)が有力とされ、そこから広まったと言われています。
福島県の土湯(つちゆ)、宮城県の鳴子(なるこ)と「こけしの三大発祥地」と呼ばれています。
仏器や神器などを作っていた木地師が木材のあまり端材を子供用のおもちゃとして作っていた。それが湯治客(とうじきゃく)の目に止まり好評だったため、色付けして土産物として売られるようになった。湯治客の多くは農民で、心身回復、五穀豊穣を祈る縁起物と珍重され全国へ広がっていった。
こけしの由来
江戸時代の男児、女児たちの髪型、芥子けし坊主に似ているからという説があります。
当時の子供たちは、頭頂部の髪だけを残して丸坊主にしていることが多かったのです。
これが芥子坊主、芥子の果実によく似ています。小芥子こけしというのが、その由来だとされます。
その他、木製の人形を意味する木偶でくから由来して「きでこ」と読んだり、木を削るということから「木削子こげし」、這子はうこ(這う乳児の人形という意味)と「きぼこ」といったり、地域でそれぞれ呼び名が異なっていたようです。「こけし」の由来や意味、語源については諸説あり、その昔は、全国各地でいろいろな呼び名や名前がありました。
縁起物や魔除けとしての側面もありますが、このような説もあります。
俗説「子消し」語源
日本では敗戦直後、増えすぎた子供を減らすためにあえて産まず、中絶する間引き、口減らしという悲しい文化に由来するという説がありました。こけしは、その子供を供養する象徴だった、という口伝えです。「こけしは昔、貧しい子沢山の家庭で子どもを死なせてしまったため、その子を供養するために身代わりとして作られた物。それ故、こけしの語源は“子消し”」とする説があるようです。
こけしは何故無表情?
こけしの表情は「無表情」のものが多いです。その理由は、かつて雪山に子を捨て「こけし」を作った母親がいたが、悲しさもあり「こけし」の表情を笑顔に作った。しかし、翌朝の「こけし」は怒った表情に変わっていた。母親は驚き、再度「笑顔のこけし」を作ったが、やはり翌朝には「怒った表情のこけし」になっていた。とうとう、母親は「怒った表情のこけし」を焼き捨ててしまった。
その後、母親は身ごもり出産に至ったが、生まれてきたのは「怒った表情のこけし」と全く同じ顔をした子どもだった。結局、母親は多量の出血もあり出産と同時に亡くなってしまい、それ以降、こけしは無表情にするようになったのだとか。
1965年頃、詩人の松永伍一が悲しい創作童話の中で作り上げたもので、こけしを「子消し」と字を当てたことがきっかけでメディアで取り上げられたたオカルトな伝説を生んでしまった、と言われています。
(引用、参考)https://matome.eternalcollegest.com/post-2157076252237325201#google_vignette