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青森の金魚ねぶた
旧暦7月1日~7日まで行われる七夕の眠流し行事。現在は8月3日~7日に行われる同市の「ねぶた祭り」にちなんだもの。
延歴年間(782~806)坂上田村麿が蝦夷征伐の際、船にねぶたを仕立て、それに兵士を隠して賊を退治した伝説に由来する。民俗学的には、ねぶたは睡魔の意味で勤労仕事の妨げをする眠気を払う習俗が風流化したものとされている。
江戸時代では、金魚は一部の上流階級の間でしか飼うことのできない高級魚であった。 庶民は憧れて、金魚をねぷたにして、お祭りの時などに提灯のように持たせ練り歩いたとされる。 「金魚」はその名の通り金運をもたらし幸福を呼ぶ縁起物です。
ねぷた伝説
今から約1200年前に、東北に蝦夷(えみし)と呼ばれた縄文文化の流れを汲む部族があった。
桓武天皇は、東北の陸奥地方(むつ)をも支配下に置こうと、軍を送るが何度も敗れてしまい、武官である「坂上田村麿」を送った。坂上田村麿は防具や鎧を強化し、津軽青森で強敵の「大丈丸」を成敗しました。
次に八甲田山中へ立てこもる女首領の「阿屋須」、弟の「屯慶」を責めるが、本陣が分からず毒矢を射られて苦戦…
そこで田村麿は茅(かや)で巨大な人形を作り、笛、太鼓、かねを叩き、何事かとやってきた人に女首領の居場所を聞き出し、大灯籠を用いて討ったのです。
現代に伝わる「青森ねぶた」の原型「ねぶた伝説」茅人形を用いて、屯慶と相対する場面が始まりとされています。
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