因幡の五狐(ごこ)
鳥取地方の伝説に登場する狐である「経蔵坊、おとん女郎、恩志の狐、ショロショロ狐、尾無し狐」のこと。
「おもちゃえばなし 六」 画と文と装丁:畑野栄三 より
・経蔵坊(けいぞうぼう)
因幡国のお殿様の池田候は不思議な力を持つ経蔵坊と言う狐を飼っていた。
ケモノとはいえ人間の言うことは何でも判り、その上足が早くて、人間であれば数十日もかかるところを、経蔵坊はたった三日で往復することが出来た。それは飛脚の仕事にはうってつけなので、お殿様は大へん重宝された。
ある日、経蔵坊はお殿様の書状を携えて江戸へ向った。いつも通りお侍の旅姿に化け、因幡を立ち、目にもとまらぬ早さで美作を過ぎ、播磨の三日月村にさしかかると、急に鼻をピクピクさせた。
どこからともなく、とても香しい匂いが流れて来る。一目散に駆けて来たので、丁度一息入れたいところ、匂いのする方へ近づくと、大好物の焼鼡(ねずみ)がある。いまにも手を出したいがお殿様の大切な仕事の途中、しかも、こんな所に焼鼡があるのは罠かも知れないと思い止まる。
そして、前よりも早く野も山も川も何のその、どんどんと駆けて行った。予定よりも早く江戸に着いた帰り道のことである。再び三日月村にさしかかると、前にもまして香ばしい匂いが鼻をつく。よく見ると焼き工合もころあいの太った鼡である。あたりを窺うが怪しい様子はない。手を出そうとするがもう一つ勇気が出ない。
恐ろしい罠が仕掛けられているかも知れないと行きかけるが、あきらめきれず戻る。行きつ戻りつ思案にくれる。
考えて見ると、二日間は飲まず食わずの歩きづめ、空腹も手伝って欲望おさえきれず、ついに焼鼡に手を出す。
その瞬間である、木の葉の下に隠されていた罠が牙をむき出し、あわれ経蔵坊は捕われる。
そんな事は知らないお殿様、いつもより帰りのおそい経蔵坊、首を長くして待ったが帰って来ない。しかたなく、占師を読んで見てもらうと、可哀想に罠にかかり命を落したとの事である。お殿様は嘆き悲しみ、お城の隅に小さな祠を建て手厚く葬った。
・尾なし狐
中国の山並を渡り歩く白狐がいた。この狐は人間を化かすだけでなく、なにやら怪しげなる呪術を使って、多くの人たちをたぶらかしていた。
ある日、因幡の猟師が木陰にかくれ獲物を待っていると、くだんの白狐が突然前に現れた。即座に鉄砲の引金をひいたが、弾はそれて尻尾の付け根に命中。白狐は驚いて飛び上がり、悲鳴を上げて竹藪に逃げた。猟師は残念そうに逃げて行った方を目で追うと、つやつやとした毛並の太い尻尾が落ちている。あまり綺麗なので拾って持って帰った。
その夜のことである。猟師が寝ていると、表戸を「とんとん」とたたく者がいる。猟師が声をかけると、
「私は今日、あなた様に鉄砲で撃たれた白狐です。その時、尻尾を撃ち落とされました。あれはお稲荷様から授かった大切なもので、それを無くすと魔力が利かなくなります。どうかお返し下さい、そのかわりにキジでも、ウサギでもなんでも獲ってさし上げます」
白狐は一生懸命にお願いをしたが、猟師はこれを返せばきっとうまいこと言っておいて、後でどんな仕返しをするかわからないと考えて断った。それでも白狐は、お望みのものなら何でもさし上げます、長者にもしますと懇願したが、猟師は頑として応じなかった。
「よろしい、それならどんな災難がふりかかっても知りませんぞ!」と、捨てぜりふを残して去って行った。
猟師は少し気味悪かったが、それ以来白狐の姿は見なくなった。おそらく、あの尻尾がないので人間を化かすことも、呪術を使うこともできないので、人前に現れなくなったのだろと思った。
・おとん女郎
夜の江戸の町に、おとん女郎が出没した。この女郎、もとは因幡国の立見峠の古狐であった。とても狡猾で人間を化かしては丸坊主にした、評判の悪狐であったと言われている。峠の麓の村人達は、寄るとさわるとこの話でもちきりだった。ところが庄屋の酒宴でその話を聞いた威勢のいい若者が、退治して見せるとりきみ出した。皆で止めたが聞かずに出かけて行った。
若者は、川沿いに山麓を立見峠へと向った。峠にさしかかり日が落ち、次第に薄暗くなると、どこからか黄金色の古狐が出て来た。若者は茂みにかくれ、息を殺して見まもった。古狐は川の傍へ行き水草をすくって頭にかぶり髪の毛にし、若い娘に化けた。こんどは、道端の石地蔵を抱き上げて、水草をつけると赤児になった。その子を負って、里の方へと下りて行った。若者が後をつけているのも知らずに、麓の一軒家の戸を開けて入って行く。
若者が節穴から中を覗くと、老夫婦が交互に赤児を抱き、目を細めてあやしているので、おかしくて吹き出さんばかりだった。だが、やがて古狐に化かされている老寄りが可哀そうになり、勢いよく戸を開けるなり、赤児をわしづかみにして、えい!と土間に投げつけた。
ところが、今の今まで石地蔵とばかりに思い込んでいた、赤児が火のつく様に泣き出した。若者はあわてて拾ったが、それっきり冷くなってしまった。赤児が死んだと家中は大騒ぎとなる。
若者はなんと言い訳けすれば良いのかわからず、ただ、土下座して三拝九拝して詫びた。それならと、老夫婦は頭を剃って赤児のお弔いをするようにすすめた。今となればなんと言われても、この家の人達の気持ちがおさまればと、頭を剃って土間に座り一心にお経をあげた。
どれ位たったか東の空が明るくなってきた。まわりの人声に気がついて、あたりを見廻すと、どうしたことか畑の真中で正座している。あまりにもまわりの人達が笑うので、頭に手をやると、シマッタ!若者は初めて狐に化かされたことに気がつく。
悪事を重ねた古狐は、いつか江戸へ去り、豊になったということである。