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~薩摩首人形の題材の由来~
1霧島狗面
昔、霧島の山中に多くの天狗が住んでいました。狗面は木彫りの異なった9つの天狗面のことを言い、霧島神宮の宝物です。面が9つであるというところから、金銭の工面に通じ工面がつく、又は金銭の工面がよくなるとされていました。
2島津の白狐(隼人稲荷)
源頼朝は、親しかった丹後の局が身ごもると彼女に黄金の小太刀を与え、従者とともに鎌倉からひそかに逃がしました。これは、2人の仲に嫉妬する北条政子の目から逃れるためでした。
しかしある夜、摂津国の住吉神社の境内で丹後の局は急に産気ずき途方に暮れます。その時、突然無数の狐火があたりを昼間のように照らすと、どこからともなく品のいい老婆が現れ、局を診察し、赤子の出産を見届けました。この赤子が後年において島津家の始祖となる忠久公です。
老婆は1匹の白い狐に変ずると姿を消しましたが、この出来事により島津家では狐を吉兆とし、氏神として祀るようになります。
3弥五郎どん
弥五郎とは、岩川八幡神社の祭神である竹内縮弥(たけうちんすくね)のことです。
この神社でおこなわれる例大祭は「弥五郎どん祭り」ともいわれています。
4隼人四天王
古事記や日本書紀において、反乱しようとする熊曾を打ち倒すように命令を受けた日本童男(やまたおぐな)は女に化け、隼人の熊曾建(くまそたける)兄弟を討ち果たしました。この時、弟はその強さに驚き、彼に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の名を奉りました。
その後、兄弟の怨霊を慰めるため供養塔が建てられ、隼人塚と名付けられました。
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