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長崎県壱岐郡壱岐島産の創生玩具。
元軍の兵をかたどったもの。元寇人形ともいう。
鎌倉時代、同島は中国元軍襲来による「元寇」の難にあったが、その暴虐ぶりを怨んだ島民たちのあいだには、今も「むくり・こくり」の言葉として残っている。


むくりは蒙古兵、こくりは高麗兵のことを指し、人々が「蒙古、高句麗の鬼がきた」といって恐れたのに始まるといわれる。のちにこれが転じて、鬼や恐ろしいもののたとえとして、泣きやまない子供をあやし脅すのに用いられ、さらに転じて無理非道な事柄をいうようになった。

鎌倉時代、時の鎌倉幕府は海の向こうから二度にわたる侵攻を受けました。
1274年の文永の役と1281年の弘安の役。日本史上最大級の危機といわれる元寇(蒙古襲来)です。当時の元(モンゴル帝国)は、その領土が地球の陸地の約17%、世界人口比率では約26%に達していたと伝わる強大国。やがて世界を制覇するだろうと恐れられていました。そのような大国の侵攻を、日本軍は二度とも本土に入れることなく博多湾で撃退し、後の世に神風神話をもたらしました(諸説あり)。
なぜ元は日本を攻めてきたのか。本当に神風は吹いたのか?その伝承を紐解くと見えてくるのは、神風ならぬ鎌倉武士・九州御家人たちのしたたかなまでの強さでした! 
天皇、将軍、御家人、多くの民が一致団結して防いだ元の侵攻。

その詳細は…?

​(引用)https://www.crossroadfukuoka.jp/feature/genko

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